オホーツクの海 / 松山千春 [日本のフォーク]
80年代の後半、いわゆるバブルのころ、仕事もめちゃくちゃ忙しかったのですが、ちょっとした小金もあったらしく、馬鹿な遊びをする人がいましたね。
たとえば、クルマで高速を飛ばして、東京から長野まで蕎麦を食べに行ったり・・・もちろん、そのためだけですよ、観光とかするわけではなく・・・。
これは、聞いた話ですが、ある時「流氷が見たい!」と突然言い出し、そのためだけに飛行機で北海道に行った人がいたそうです。
網走か知床か知りませんが、日帰りしたとか・・・。
もちろん私は、小金も大金もなかったため、そんなことはしませんでしたよ。(^^;
さて、きょうの3連のバラードは、そんなバブリーな人が飛んで行った北海道のスター、松山千春のナンバーです。
オホーツクの海
ところで、バブルのころというのは、本当にむちゃくちゃでしたね。
そんな店は行っても似合わないというのに、某ディスコ(あれ?あの頃はもうクラブ(語尾上げ)っていいましたっけ?)に行ったり、(私は行きませんでしたが)、接待などで、今では考えられないような高級料理店に連れて行ってもらったり(私はありませんでしたが)、朝まで飲んで都心から神奈川県まで某会社のタクシー券で帰ったり(私はそんなことしませんでしたが)、絶対似合わないないというのに某DCブランドのファッションに身を包んだり(私ははしませんでしたが)、下手なのに10万円もかけてフルオーダーのスキーブーツを買ったり、六本木のカローラなどと言って某外車を乗り回したり・・・馬鹿でしたよね。
すみません、せっかくHarrietさんから御紹介いただいた楽曲なのに、バカなことを書いてしまいました。<m(__)m>
精霊流し / グレープ [日本のフォーク]
お盆ということで、久しぶりに帰省して田舎のテレビなどをご覧になっている方も多いでしょうね。
その田舎のローカルUHF局ですが、最近はなんか悲惨なことになっています。
番組のほとんどがテレビショッピングや買い物情報になっているんですね。
買い物情報も、ようするにテレビショッピングみたいなものです。
この不景気ですから、テレビ局も台所事情が大変なことになっているのでしょう。
でも、ちょっと限度を超えているような気もしますが・・・。
そんな地方局で面白いものというと、ローカルCMですね。
動かないCM…映像ではなく、「画像」に音声を入れたもの、これがいまだに流れていたりします。
動くCM・・・つまり「映像」でも、5年10年、全く変わりません。
こちら滋賀では、推定20年物のCMも、堂々と流されています。
「よしこちゃん、え~お嬢さんになって~」
というセリフの、ある仏壇店のCMなどは、滋賀県民なら知らない人はいないでしょう。
これなどは、たぶん20年以上でしょうね。
こういうのを再発見するのも、お盆の楽しみの一つかもしれません。
さて、お盆というと、こんな3連のナンバーがありました。
精霊流し グレープ
お盆というと、もちろん仏教の行事ですよね。
でも、いろんな宗派があって、こちらではお盆といっても、特別何かをするというようなことはありません。
この「精霊(しょうりょう)流し」というのは、どういう宗派の行事なんでしょうね?
このグレープや、さだまさしさんの音楽はあまり聴いたことがないのですが、しゃべりは上手ですよね。
音楽じゃなく「しゃべり」を職業にしても、かなりのランクに行くんじゃないでしょうか。
花にさえ、鳥にさえ / アンドレ・カンドレ [日本のフォーク]
70年というのは、ポップスの世界に大きな変化が始まった年といえますね。
ビートルズが解散し、「ロック」が世界の音楽の主流になり、日本ではGSブームが去り、第2期フォーク・ブームが始まりました。
よしただくろう、かぐや姫・・・ラジオの深夜放送とともに、彼らの音楽はひとつの大きな流れになりました。
そういった流れにちょっと乗り遅れたのが、このアンドレ・カンドレなどという、意味不明の名前でデビューしたシンガー・ソングライターでした。
デビュー曲はカンドレ・マンドレ・・・歌っているのがアンドレ・カンドレ・・・どうしちゃったんでしょうね。(^^;
やはり売れず自作に期待!された2枚目も・・・売れず、3枚目がこの曲でした。
花にさえ、鳥にさえ アンドレ・カンドレ
3連のバラードですが、アレンジはもうすでに「フォーク」ではありませんね。
で、これも売れず、結局アンドレ・カンドレという名前はやめて、本名井上陽水(いのうえあきみ)を「いのうえようすい」と読ませる名前で再出発・・・そして、ユーミンより一足早く、スターダムにのし上がりました。
1973年に発表したアルバム「氷の世界:は、日本初のミリオン(100万枚)セラーになりました。
この時期、同じように大ヒットしたのが小椋佳で、彼らの紡ぎだす斬新なメロディーと独特の詩の世界は、その後の「ニュー・ミュージック」ブームへの足掛かりになったといっていいでしょう。
な~んて、どこかで見たような文章になってしまいましたが、じつはアルバム持っておりません。(^^;
小椋佳も・・・。
そういった曲が売れていく現場に近い所にいたのに、なぜかピンときませんでした。
なぜなんでしょうね。
ぼくの好きな先生 / RCサクセション [日本のフォーク]
70年代のはじめごろ、グループサウンズのブームが去り、またフォークが人気を集め始めました。
それまでのキャンパス・フォークのような、お坊ちゃま系ではなく普通の学生、というより少々貧しい系の学生が、自分たちの言葉で自分たちの生活を歌い始め、それが人気になっていったんですね。
70年代フォークは、そういったことから4畳半フォークなんて言う呼ばれ方もしました。
そんな70年代フォーク・グループのひとつだったのがRCサクセションでした。
あまり大きなヒットにはなりませんでしたが、ほかのグループにはない、独特の世界が・・・というより、匂いがあったという気がします。
その後RCサクセションは、なかなかヒットにめぐまれず、音楽性も大きく変わっていきました。
70年代の終わりごろになると、もうフォークではなくロックでした。
80年ごろ(確認していませんので、違うかもしれません)あの名曲「雨上がりの夜空」が出てきたとき、それが一気に開花しました。
そんなRCサクセションのリーダーの忌野清志郎が星になってしまいました。
早すぎますよね。
個人的にですが、日本人の歌う「ロック」は、ほとんど「ロック」には聞こえませんでした。
でも、RCサクセション・・・忌野清志郎の歌は、確かにロックだったと思います。
3連のバラードの名曲「スロー・バラード」はすでに取り上げましたので、きょうは「フォーク時代」の名曲で、清志郎をしのびたいと思います。
ぼくの好きな先生 RCサクセション
白いブランコ / ビリー・バンバン [日本のフォーク]
そういえば、最近公園に行ってないですね~。
でも、いまどき中高年が公園でブランコに乗ってたりすると、リストラされたの?などと余計な詮索をする輩も多いそうですが・・・。
そうそう、コマーシャルでおもしろいのがありましたね。
確か、公園のベンチで、岸部四郎か誰かが、ぶつぶつ独り言を言いながらゲーム(?)で遊んでいると、子供が近寄って行く・・・。
それを見ていた子供の母親が、子供を連れ戻す・・・。
「ダメよオジサンいそがしいんだから・・・」
このCM、印象に残ってるんですよね。
でも、何のコマーシャルだったかが、思い出せないのですが・・・。(^^;
まあ、そんな話はおいといて、ブランコというとやはりこの曲ですね。
60年代最後を飾った日本のフォーク、といっても良いんじゃないでしょうか?
白いブランコ ビリー・バンバン
いやあ、懐かしいですね。
学生時代、よく友人とハモッたたものです。(^^ゞ
こうやって聴いてみると、誰でもギターで伴奏しながら歌えるようなイメージですが、なんのなんの・・・。
ちゃんと細かいコード進行まで演奏しようとすると、なかなか難しい部分もあったりします。
ところで、このビリー・バンバン、デビュー前はたしか3人組でした。
その3人目のメンバーが、せんだみつおさん。
その昔、じつはビリー・バンバン出演の特番を作ったことがあり、その進行をせんだみつおさんにお願いしたところ・・・大混乱。
あの番組は、あれでよかったのでしょうか?
今もわかりません。
想い出まくら / 小坂恭子 [日本のフォーク]
70年代も真ん中あたりになると、フォークもロック・ポップス系や、歌謡曲に近いメロディーやサウンドなど、いろんなパターンが出てきましたね。
この曲は、どちらかというと歌謡曲に近いジャンルに入るんじゃないでしょうか?
もちろん3連譜ソングです。
想い出まくら
まさに「シングル盤」用の曲ですね。
深夜のプロ・ドライバー向けの番組などで、かけたくなる曲ですね。
というか、よくリクエストが来ていました。
ところで、この曲が発表されたのは75年、ちょうどユーミンがメジャーになりつつあった時ですね。
同じ時期のユーミンの曲には、いわゆる「なつかしさ」は感じられませんが、こういった曲にはよく感じられますね。
ユーミンの曲には、どちらかというと時代を超えたスタンダードなものがあるのに対し、こういった曲はヒットした時代の空気がたっぷり入っているような気がします。
そんな時代の匂いみたいなものが「なつかしさ」になって漂ってくるのかもしれません。
さよならは云わないで / モダン・フォーク・フェローズ [日本のフォーク]
60年代の後半、エレキとGSブームの前後、カレッジ・フォークという名前で紹介された音楽がありました。
エレキ・ギターではなく、フォーク・ギター、バンジョー、ウッド・ベースといった楽器で、ピーター・ポール&マリーや、ブラザース・フォア、キングストン・トリオなど、おもにアメリカのモダン・フォークをコピーしたり、まれにオリジナルを歌ったりしていました。
「学歴」を問わない「エレキ」や「GS」と違って、こうしたグループは大学、とくに有名私立大学で結成されたため、「カレッジ」という名前がついたのではないでしょうか。
モダン・フォーク・フェローズもそんなグループのひとつで、歴史にその名を残す名グループのひとつと言っていいでしょう。
そんなモダン・フォーク・フェローズの3連のバラードです。
さよならは云わないで
時代を感じますよね。(^^)
それと、60年代のこの時期に、こういったカレッジフォークにうつつをぬかし…失礼、研究していたのは、有名私立大学の学生=お金持ちのボンボン(失礼)が多く、そのせいか70年代の、いわゆる「4畳半フォーク」にくらべ上品な感じがすると思いませんか?
このグループのメンバーにも、近年惜しくも亡くなった作家の景山民夫さんだとか、のちに東京の某放送局に入り現在は関連会社の常務(?)のかただとか、そういったいわばセレブ系の人たちが在籍していたんですね。
当時は、そういったケースが多く、ザ・リガニーズとか、PPMフォロワーズとか、フォー・ダイムズとか、有名どころではブロードサイド・フォーなどもありました。
そういえば、当時こういったグループの人たちが持っていた楽器って、びっくりするようなものがありました。
マーチンのD-28は、今でこそそんなに珍しくありませんが、当時学生でありながら、すでにこんな楽器を持っている人がいました。
1ドル360円の時代にです。(^^;
67、8年ですから、まだ最高の木材が使われていた、ビンテージ物です。
やっぱり高偏差値有名私立大学生は違いますね。
ひとつ忘れてました。
こういったカレッジフォークのほとんどが、例のアイビー・ファッションでしたね。
あのころアイビーだった人の多くは、いまもアイビーだったりします。
やはりスジを通している人って、カッコイですね。
望郷 / 山崎ハコ [日本のフォーク]
70年代の真ん中あたり、フォークもニューミュージックに押され、ちょっと下火になったかなという頃、なんともいえないほどその歌に引き込まれる女性シンガーが登場しました。
それが山崎ハコでした。
じつは70年代、フォークとくに日本のフォークには、あまり興味がなくなって、ほとんど聴かなくなっていました。
でも、故・林 美雄さんの番組「パック・イン・ミュージック」で紹介された彼女のアルバムは、聴き入ってしまいました。
一番印象的だったのは、番組の「ファンの集い」で、ゲストとして登場したときの衝撃でした。
それまでほとんど無名の彼女が、TBSホール満員の聴衆の前で歌い終えた時、その拍手と歓声はかつて見たことのないほどの驚きと感動に満ちていました。
このときは、たしか「金曜パック2部」が終了して、「水曜パック」として復活してからだったと思います。
「金曜パック2部」「水曜パック」なんて、もう50代以上で、東京の深夜放送を聴いていた人にしかわからないかもしれませんが、2部というのは「パック・イン・ミュージック」の午前3時から5時まで、水曜パックは水曜日(火曜日深夜)午前1時から3時までの放送のことです。
2部があったころは、1時から3時までを1部、3時から5時までを2部と呼んでいました。
望郷 山崎ハコ
この曲は、デビューアルバム「飛びます」のA面1曲目(CDでも1曲目)に入っています。
当時、こういったマイナーでありながら、その後の音楽をリードすることになる、山下達郎のシュガー・ベイブや例のナイアガラ(大瀧詠一)などのアーティストのレコードを出し続けていたのが、エレックレコードという会社でした。
ギタリストで、ギター教則本でもおなじみの浅沼勇さんや、文化放送のアナウンサー故・土井まさるさんなどが出資して設立した会社で、最初のレコードが確か土井まさるさんの「カレンダー」という曲だったんじゃないでしょうか?
そのあと、吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸、海援隊、つボイノリオそして上のシュガー・ベイブやナイアガラ・・・と、その後のフォーク・ニューミュージック界を賑わすことになるアーティストが、つぎつぎとデビューしていきました。
でも、肝心のレコード会社のほうが傾いてしまって、ちょうどこの山崎ハコの出たあとに消滅してしまいました。
ところが、最近そのエレックが復活しましたね~。
社長は、吉田拓郎の「青春の詩」などのバックでドラムを叩いていた萩原克己さん!
「かつみ」さんではありません、「かつき」さんです。
当時所属だった、つボイノリオさんまで、昨年ラジオで間違えていました。
お元気でしょうか克己さん、酒ばっか飲んでちゃダメですよ。(^^)
池上線 その後 [日本のフォーク]
ここ数日、なぜか古い記事への閲覧者数が多く、いったいどうしたんだろうと思っていました。
古い記事というのはこれで、昨年10月12日に書いたものです。
この記事の閲覧数は、4月21日22時現在「484」にもなっています。
こんな古い記事に、なぜ閲覧者が増えたのか・・・やっとわかりました。
先日の土曜日の朝日新聞「be」に、この西島三重子さんの「池上線」に関する記事が出ていたからだったんですね。
あの記事から、パソコンで検索をして、このサイトにまで、見に来てくださったようです。
やはりメジャーな新聞の力はすごいですね~。
こんなところまで影響が出てくるんですから・・・・。
「池上線」というのは、もう30年以上前のヒット曲ですが、そのヒットの仕方がゆっくりとしたペースだったことや、哀愁を帯びた曲調だったこともあり、当時から「歌謡曲」の番組でも、よくオンエアされました。
昨年、この曲を取り上げた時、YOUTUBEにはなかったのに、いまみたらいくつか出ていました。
また、「池上線そのもの」の映像がいっぱいでていましたね。
今ブーム(?)の「鉄ちゃん」のみなさんがアップされたんでしょうね。
朝日新聞によると、この「池上線」には、その背景にいろんなドラマがあったようですね。
詳しいお話は、ぜひ朝日新聞で(^^)
池上線 西島三重子
やっぱり良い曲ですね。
海は恋してる/ザ・リガニーズ [日本のフォーク]
60年代の終わりごろ、フォークというよりカレッジ・ポップスというジャンルがちょっとしたブームになりました。
その代表的なナンバーが、この「海は恋してる」です。
某高偏差値大学のフォークソング同好会の所属だったザ・リガニーズ、メンバーを見ても、あれっ?どこかで見たぞ・・・というような、その後の有名人の名前が何人もありますね。
また、年代によってメンバーが替わっていたりするんですが、その中にも有名人がいたりします。
さすが某高偏差値大学ですね。
またこの同好会のメンバーには、某女子大の同じような同好会にギターを教えに行って、そこの女子大生とグループを作り、デビューした方もいらっしゃいますね。
その女子大の学生さんも、のちにソロ・シンガーになったり、ギターを弾いていた方のひとりは、いまは「事件現場」で大活躍なさっています。
さすがですね、やはりエリートは違いますね!
それにしても、この曲、当時は本当によく聴きました。
もちろんラジオからですが・・・。
ちなみに、この同好会からは、フォークソング、カレッジ・ポップスだけではなく、リガニーズから10数年後にはヘビーメタル(?)の悪魔(?)や、スキンヘッドの方のグループまで登場しました。
さすがです。
すみません、メンバーの名前などは個人情報(?)ですので、控えさせていただきました(^^)




